2008年09月06日

「世論がNOと言ったなら執行はしなかった」鳩山前法相

今日、出かける前に、化粧をしながらTVを観ていたら・・・。

こんなんやってました。
(ローカルではなくて、全国放送でやって欲しかった)

土曜ニュースファイルCUBE テレビ西日本(フジ系列・福岡ローカル)
「鳩山前法相が激白 「死に神」と呼ばれて」
▽およそ1年6ヶ月の間に13人の死刑囚に対し死刑執行を命じ、一部で『死神』と呼ばれた鳩山邦夫前法相。日本の死刑制度は今後、どうあるべきなのか?今週の『CUBE』では、直木賞作家、佐木隆三さんが鳩山前法相に鋭く迫ります。

化粧しながらでメモが取れなかったし、たぶん途中からしか見てないんですけど、覚えている範囲で箇条書きします。

・ベルト・コンベアー発言について
マスコミではバッシングが起きたが、ネット調査では80%以上の人が賛成してくれた。

(死刑賛否についての街頭インタビューVTR)

・6ヶ月規定について
刑事訴訟法第四百七十五条  死刑の執行は、法務大臣の命令による。
○2  前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。

6ヶ月規定というのは拘束力のない訓示規定*としての運用であった。
だとすれば、刑法を改正して、2〜3年以内に執行しなければ法律違反となるようにした方がよい。

*訓示規定
各種の手続きを定める規定のうち、もっぱら裁判所または行政庁の職務行為に対する命令の性質をもち、それに違反しても、その行為や手続きの効力には影響のないもの。

・短期間に多数の執行をしたことについて
世論では死刑肯定派が80%以上。もし、世論が反転していて反対派が多数だったら執行はしなかった。

・精神鑑定(刑法39条問題)について
人を殺すということは、その時点でまともな神経ではない。精神鑑定で、心神喪失とか心神耗弱という結果が出て、責任能力が問われないのは、どうかと思う。

・死刑によって遺族は癒されるのか?
何人もの犯罪被害者遺族の方とお会いし話しを聞いた。大臣室で「あすの会」の岡村代表にもお会いした。
死刑によって被害者遺族が癒されるかどうかは分からないが、遺族は1日も早い執行を望んでいるのは間違いないこと。

・死刑による犯罪抑止効果は?
刑法には犯罪抑止効果がある。もし死刑が亡くなってしまえば、何人どんな風に殺しても、その犯人は死なない事になる。死刑があることで犯罪抑止には大きな影響があると思う。
犯罪抑止効果について、死刑廃止国の様々な報告があるが。それぞれの国の事情なのではないかな。

・仮釈放のない終身刑を導入しようという声があるが?
(最近の無期懲役についての説明VTRをはさんで)

死刑と無期懲役のギャップが大きいとの声もあるが、事実上は無期懲役は終身刑化している。
終身刑の導入は世論に従うべき。
個人的には、仮釈放のない終身刑は残虐な刑罰で、死刑にも勝るのではないかと考えている。

・大変な苦労をされたと思うが、ふたたび法務大臣に抜擢されたら?
法務大臣はもう沢山。(がははと笑う)


以上、私の少ない脳みそに入っている記憶に基づいた再現です。
間違いもあると思います。よーつべ辺りにVTRがアップされるか、正確な再現をアップしてくださるブロガーがいらっしゃることを祈ります。


大した感想はないですが。
辞任した福田さんと同じく「自分のせいじゃないよ〜ん」と言っているように聞こえました。世論が、世論が・・・。
世論で執行するなら、法務大臣はいらんでしょうに。

死刑廃止国の犯罪抑制率が変わっていないのは「その国の事情」・・・。
日本人は、犯罪大好きなのだと思っていらっしゃるのかしら?

最後に「がはは」と笑った鳩山さんの声が耳にこびりついてます。
今夜はヤケ酒決定。
posted by akira at 17:53| Comment(11) | TrackBack(0) | 死刑制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月13日

殺人事件で想定されるケース

綿井健陽のチクチクPRESS「弁護員制度」という記事を読みました。
その一部を紹介します。
こうして誰かを裁く側へどんどん追い込んでいく。強迫観念のようにみんな裁く側の意識に迫られる。誰かを「処罰する」こと、そして自分は必ず「裁く側」に立つということを前提に、そこから物事を考える思考システムが、この裁判員制度の開始の前に着々と築かれているように見える。


そう。
ネット上は言うに及ばず、殆どの議論は
>自分は必ず「裁く側」に立つということを前提
にしているように思います。
自分が事件関係者になったとしても「被害者側」を想定しているとも言えるでしょう。

これまで沢山の議論(もちろんココでの議論も含め)を読みました。そこでは殆ど、面識のない赤の他人による「殺人事件」を想定していて、被害者遺族の感情や死刑制度の議論がされています。

「罪と罰」の中で少し触れましたが、実際の殺人事件では・・・。

H18年警察白書によると
被疑者と被害者の関係別検挙件数 1155件中

親、子、配偶者、兄弟姉妹、その他親族 542人(46%)
知人友人、職場関係者 361人(31%)
その他 114人(10%)
面識無し132人(11%)
被疑者無し6人

となっています。

「面識無し132人(11%)」を想定した議論ばかりの中で、被害者遺族会(同じ想定の事件被害者が殆どでしょう)の発言がクローズアップされ続けています。事件そのものがセンセーショナルに報道されがちですし、「世間」も遺族感情への同調や、(被害者とは赤の他人の)加害者には厳罰を求めるのは容易いのだろうと思います。

日本は長い間、「民治不介入」という法体系のもとで、家族の闇が隠され続けてきました。家族に国が介入することの善し悪しは、この際置いておきますが、家族間の殺人が46%にも及ぶ現状においてさえ、そこで生まれる被害者遺族、加害者の家族(両者は重なります)の感情は置き去りにされたままです。

被害者遺族が、その事件の犯人に対して「処罰感情」や「死刑を求める」気持ちは自然です(必須ではありませんが)。しかし、事件の想定が変われば、その感情は複雑で、必ずしも「死刑を求める」とは限らないのでしょう。(多くの殺人事件では、こちらの方がスタンダードなのだろうと思います)

現在の議論における「前提」や「想定」を少し変えると、何か違うものが見えてくるのではないかと思っています。
posted by akira at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 死刑制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月04日

罪と罰

「死刑」はイヤだという気持ち(思考)は、すごく個人的な体験から生まれてしまった気持ち(思考)だから、共有できるとは思っていないんです。
他の死刑廃止派の人だって、そうなった経緯はそれぞれだと思うし。
結局、その人がどう考えるかは過去の経験に依拠しているものだし。

何故「死刑に反対するのか」と聞く人もいます。
そう聞く人を説得したいなら、努力しないといけないだろうけど・・・。私は、その人を説得したいわけでもないのです。(というか、できないでしょう。私程度の国語力では)
公の場所に意見を書いているのだし「そりゃ、おめーが間違ってるよ」と言って頂くのはありがたいです。それによって自分の思考を修正できることもあるでしょう。
しかし、批判の全てに相手が納得するまで説明する責任が私にあるのかどうか・・・。うーん。


とりあえず、死刑はイヤという理由をいくつか書いてみます。

・その時々で「死刑」になる基準が変わること。
・人が裁いている以上、冤罪や誤判が避けられないこと。
・間違いを正すシステムがないこと(あるけど、事実上は無いも同じだし)。
・過失なのか故意なのか、本当のところは誰にも分からないこと。
・同じように人を殺めても事故と故殺は量刑が違いすぎること。
・過去の量刑を見ていて、被害者が赤の他人なら死刑になる確率が高いこと。
・上に関連して、被害者が自分の子どもだというだけで量刑が軽くなること。
もっとあるけど・・・。


人を殺したら「原則死刑」に、という人もいます。
(故意に、という意味なのだろうけれどね)
上でも書いたれけど、明らかな不注意(充分に避けられた)による事故で10人が亡くなっても「過失致死」にしかなりません。
故意に1人を殺めれば「殺人罪」です。

人の命に関わる仕事をしている人が、過失で人を死なせてしまった時に「殺人」とされてしまうならば、誰もその仕事に就くことはできないでしょうしね。なので私は「過失による死」の罪を重くしろという気はないのですよ。
でも、充分に避けられたはずの「不注意」によって死なせてしまうのと、故意で殺めてしまうのと、どちらが罪が重いのか私には判断できないです。

「被害者遺族の気持ちを考えろ」という人もいます。
でも、何の落ち度もないのに誰かのせいで家族が亡くなった人にしてみれば、それが事故でも殺人でも、同じように加害者を恨むと思うし。
また、故意に殺害しようとして被害者に重症を負わせ、重大な後遺症に苦しんでいる人が何人もいた場合でも、亡くなった人がいなければ加害者は「死刑」にはなりません。(たぶん、今までは)
もちろんこれも、では「死刑」にとは言えません。

もう一つ、殺人事件は家族とか親族間の殺人が約半分を占めている(友人知人、職場関係まで含めると約80%だもの)という現実があります。そういった被害者、加害者双方に関わる遺族もいらっしゃいます。恨みたくても恨めない、恨んでいても気持ちを表現できない遺族の方は多いのだと思います。

今の日本では、死刑存置派の人が80%を超えているそうですが、その多くは、赤の他人に対する殺人を想定しているのではないでしょうか?

結局の所、私は人の命の重さ(被害にあった苦しさ)を誰かが決めてしまうことを受け入れられないのだろうな。たぶん。
(これは全く、個人的な体験から至った結論なので、これ以上説明を求められても答えられないと思います)
posted by akira at 23:53| Comment(28) | TrackBack(1) | 死刑制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月28日

モトケンさんのblog

※今日になって、無事投稿することができました。
記事を削除しても良いのですが、コメントが着いていますので、投稿したコメント部分だけ残しておきます。

元検弁護士のつぶやき「犯罪被害者・遺族も抗議」に投稿したコメントです。

>No.38 ponさま

返信ありがとうございます。

>あすの会では犯罪者の厳罰を望む"正しい"犯罪被害者遺族像が設定され、それに反する言動は許されないのです。

そういう意味だっのたですね。同意です。

ここからは、モトケン様の元記事と、こちらの議論への個人的な感想を書きます。

No.36 でponさまがご紹介くださった拙blogの記事(アクセス解析でビックリして飛んできた次第です)と、TBが通らなかった記事「ふたたび「あすの会」について」をお読み頂いた方が多いようなので、重ねて多くを申し上げるつもりはありません。

かの抗議文を読んでいて強く印象に残ったのは、その文言多くが、方々の死刑反対派のblogコメ欄に、ステハンで書き込まれる乱暴な意見に酷似しているということです。(しかも、あすの会の抗議よりネット上の意見の方が早くから出ていましたし)

また、「あすの会」の方達が使う「犯罪被害者は」という言葉が、どれほど大きなの影響を与えているのかも実感しました。あすの会の会員以外の個々の被害者や被害者遺族の感情と、あすの会の意見表明は分けて考えて頂ければと願います。


posted by akira at 23:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 死刑制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月27日

ふたたび「あすの会」について【追記有り】

数字から見えてくるもの
のコメント欄で、ハロー・テキサスさんからいただいた以下のコメント
至極まっとうだと思いますが、こういう動きも出ています。
http://s01.megalodon.jp/2008-0626-0436-39/www.asahi.com/national/update/0625/TKY200806250323.html

について、特に感慨はないので書くことはありませんとのコメントをお返ししたのですが・・・。
あまり反応したくないというか、するべきではないのだろうという思いもあります。

この件について他のblog(元検弁護士のつぶやき:犯罪被害者・遺族も抗議)での議論を読んでいて、書きたいことが出てきましたので記事としてアップすることにしました。

「あすの会」については、以前にぐちゃぐちゃ(その1)で書きました。

ほかのblogでの議論なら、そこに切り込んでいけばよいのですけど、長くなりそうですので自blogに書いてTBを送ろうと思います。
コメント欄での議論では賛否両論があるのですが・・・。
No.13 MultiSyncさん | 2008年6月26日 22:45
記事から読み取れる事実は、「全国犯罪被害者の会」は(正規に確定した)死刑が、決められた通りに執行されることを望んでいる。
と、なりますから正当性は完璧です。

ちょっとここに反応。

モトケンさんのblogのエントリでは朝日「死に神」報道、あすの会が抗議(産経ニュース)を引用しているので、記事の内容が上記の朝日の記事とはニュアンスが随分違います。
「全国犯罪被害者の会」(あすの会)は25日、「犯罪被害者や遺族をも侮辱する内容」だとして、朝日新聞社に「抗議および質問」と題する文書を送付した。
 文書は「確定死刑囚の1日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法相と同様に死に神ということになり、死刑を望むことすら悪いことだというメッセージを国民に与えかねない」などとしている。また、死刑執行の数がどうして問題になるのか−など4項目の質問に、1週間以内に回答するよう求めた。

抗議文、全文を引用した方が齟齬がないかな。
公開質問状なので問題ないでしょう。
http://www.navs.jp/2008_6_25.html
【朝日新聞社に公開質問状提出】
2008年6月25日
朝日新聞社
代表取締役社長 秋山耿太郎 様 
 全国犯罪被害者の会(あすの会)
代表幹事  岡  村   勲 
【 抗議および質問 】

平成20年6月18日付け貴社夕刊に「永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神。」という素粒子欄記事(以下「本記事」という)を見て驚愕しました。

永世死刑執行人、死に神の正確な意味は分かりませんが、少なくとも良い意味では使われてはいません。本記事は、法務大臣だけでなく、死刑求刑した検察官、死刑判決した裁判官、執行に関与した関係者等すべてを侮辱するものと言わざるを得ません。

特に衝撃を受けたのは犯罪被害者遺族です。
確定死刑囚の一日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法務大臣と同様に永世死刑執行人、死に神ということになってしまいます。

犯罪被害者遺族は、これまで数多くの二次被害,三次被害を受けてきましたが、今回ほど侮辱的で、感情を逆撫でされる苦痛を受けたのは初めてです。

また本記事は、犯罪被害者遺族が、死刑を望むことすら悪いことだというメッセージを国民に与えかねません。

死刑判決が確定した死刑囚に対して、法務大臣が原則として6ヶ月以内に死刑を命じなければならないことは、刑事訴訟法475条に定められており、鳩山法務大臣は、法律に従って粛々と死刑執行を命じたに過ぎないのです。

本来法治国家とは、法律が制定されるだけでなく、それが執行されてはじめて意味を持つものですが、法を執行する法務大臣を非難することは、法治国家を否定することにもなります。

本記事が掲載された後、多くの非難抗議を受けた貴社は、「鳩山氏や関係者を中傷する意図はなかった、法相のご苦労や被害者遺族の思いは、十分承知している」など弁明されましたが、本当に分かっておれば、このような侮辱的な言葉は使用できないはずです。

「風刺はつくづく難しいと思う」ともありましたが、死刑という厳粛な問題を風刺の対象にすることも、不穏当ではありませんか。

そこで、次のとおり公開の質問をいたしますので、1週間以内に全国犯罪被害者の会(あすの会)宛にご回答を頂きたく、お願いいたします。

【 質問事項 】

永世死刑執行人、死に神の意味を明らかにしてください。この言葉に、犯罪被害者は塗炭の苦しみを味あわされているのです。

本記事が、死刑を求める犯罪被害者遺族にどんな気持を起こさせるか考えなかったのですか。考えたとすれば、どうして本記事を書かれたのですか。

本記事後、貴社は「法務大臣や関係者を中傷する意図は全くありません」とのコメントを発表していますが、意図はどうであれ、「永世死刑執行人、またの名、死に神」との記載は、法務大臣に対する侮辱中傷になると思いませんか

6月21日の素粒子「それでも死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」とありますが、法務大臣の死刑執行の数がどうして問題になるのでしょうか。
以 上  


私も犯罪被害者ですけど(遺族じゃないけど、自分の受けた犯罪被害と同様の事件で、自分が被害を受けた1週間後に親友を亡くしたことは以前にも書きました)
特に衝撃を受けたのは犯罪被害者遺族です。
確定死刑囚の一日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法務大臣と同様に永世死刑執行人、死に神ということになってしまいます。

私は「確定死刑囚の一日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は」と、「あすの会」という、一被害者団体から括られることを由としません。
まるで、被害者代表みたいに読めますもん。

先にリンクした「ぐちゃぐちゃ(その1)」で危惧していた
以前に書いた私の親友が殺害された事件では『無理心中』であった為に、結局、加害者は亡くなりましたが、遺族となったお母さんやご兄弟は「せめて○○さん(犯人)だけでも助かって欲しい」と最後まで祈っておられました。
状況が違うので一概に言うことは出来ませんが、そういう遺族の方もいらっしゃいます。

どういう形で「被害からの回復」を目指すかは個人にゆだねられるべきだと思います。会の目標にそぐわないからといって排除する事は、疑問を抱かざるを得ません。


が、全ての被害者や被害者遺族に波及してしまったようで悲しみすら覚えます。

被害者が、どんなことを考えているか、感じているか、私は「あくまでも個人の意見」として発信してきました。シーラの会も被害者支援の一つ形ですが、私の意見はシーラの会の意見ではないし、シーラの会として表明したものでもありません。

本村さんをはじめとする「あすの会」のメンバー個人が発したなら「被害者遺族は」と言ったとしても、私見となるのだろうと思いますが・・・。
これほどまでに影響力を持った団体が「私達、あすの会は」ではなく「被害者遺族は」と表現してしまう意味を、できれば考えて欲しかったと思います。

心情としては分からなくはないです。てか、こういうふうに「死刑反対」を唱える犯罪被害者の方が少ないでしょうけれど。

この公開質問状にあるような、犯罪被害者遺族が、死刑を望むことすら悪いことだというメッセージを国民に与えかねない。というのは、現在の世論の動向を考えるとありえないでことしょう。誰もそんなことを考えていませんよ。
逆に、犯罪被害者遺族が死刑をのぞまない事が悪いことだとして、一部の被害者遺族の退会を促してきたのが「あすの会」です。

もう一度言います。
どのように犯罪被害から回復するかは、個人にゆだねられるべき事です。また特定の団体の意見が、全ての意見の代表であるかのごとく前面に出でるべきではないと考えています。
本来法治国家とは、法律が制定されるだけでなく、それが執行されてはじめて意味を持つものですが、法を執行する法務大臣を非難することは、法治国家を否定することにもなります。
確かに正論ですけどね。
これが、スタンダードな見解になっていくのでしょうね。


6月27日16:00追記
夕べ夜中に書いてしまったので、かなり難のある文章ですね(反省)
肝心の部分が抜けてるし。で、その部分を追記します。

そもそも「あすの会」の抗議文に反応したくないと思った理由は、自分の家族が受けた被害の加害者の死刑が執行されたわけではないのに、この抗議文を出したことでした。今回の「死に神」発言の元となった、3名の元死刑囚の方々から被害にあった遺族が出した抗議文であれば理解できます。「あすの会」は代理人か何かなのでしょうか?
毎回書いているように、自分の家族を殺害された場合、その加害者の死を望むことは誰にも責めることはできません。しかし・・・。

文中にある『確定死刑囚の一日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は』という表現は、端的に言えば犯罪被害者遺族は、自分とは関係のない死刑囚の死でさえ望んでいると解釈できます。

朝日の記事を「あすの会」は、被害者遺族に対する侮辱だと書いています。
では「あすの会」のこの発言は、無関係な事件の死刑囚に対して処刑を望んでいない「あすの会」の会員ではない遺族に対する侮辱とはならないのでしょうか?

私だったら「一緒にしないでくれ」と思います。
上記の
>「あすの会」という、一被害者団体から括られることを由としません。
という一文は、そういった意味を書きたかったのでした。

それともう一つ

>確かに正論ですけどね。
>これが、スタンダードな見解になっていくのでしょうね。

について

法律で決まっているからという発言は
刑事訴訟法第四百七十五条  死刑の執行は、法務大臣の命令による。
○2  前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。
に依拠している訳ですが、
その後段には
但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

第四百七十九条  死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。

という文言が含まれます。

宮崎勤氏の場合でいえば、精神科治療を受けていたこと(幻覚、幻聴があったと聞きます。統合失調症なのか、その他の精神疾患だったのか、拘禁反応だったかは定かではありません)、再審請求の準備をしていると宮崎氏の弁護人は法務省に連絡(5月30日)していました。鳩山さんもその事実は知っていました。
その矢先での執行です。

法律で決まっているからというなら、こちらはどうなんでしょうか?
抗議文についての心情は理解できても、表現方法や手法に問題があると思います。
posted by akira at 01:20| Comment(8) | TrackBack(2) | 死刑制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする