2009年11月15日

候補者名簿記載通知がもうすぐやってくる

裁判員裁判が実施されて半年ほどたちます。
この制度の問題点があぶり出されつつあるはずですが、開始前のような議論が起きないのが不思議です。

今年4月に発足した「裁判員制度を問い直す議員連盟」のその後の動向も全く聞かれなくなってしまいました。活動は続いているのでしょうか?
議連が提出した「12の論点」を再掲します。
(保坂展人のどこどこ日記 裁判員制度を問い直す議員連盟緊急総会の報告 より)

1、思想信条による辞退や、面接時の陳述拒否が認められない。
2、守秘義務違反や虚偽陳述の罰則が重すぎる。
3、無罪判断でも強制的に量刑評議に参加させられる。
4、死刑判決を全員一致ではなく多数決で行なう。ため反対した者が死刑宣告を下したことによる自責の念にひどく囚われるおそれが高い。
5、裁判員裁判を受けるか否かの選択権が被告人にない。
6、取り調べの可視化が実現していず、世界的に批判の強い代用監獄が存置されている。
7、公平な裁判のための条件が整っていない(ディスカバリー、公判前に沢山の情報に整理手続で接した裁判官と、初めて接する裁判員との情報格差による誘導の危険性)。
8、放火殺人など重大事件が対象となっており、裁判員は短期間で死刑か無期懲役かといった重大な選択を迫られることになる。
9、裁判員への刑事裁判の原則(例:無罪推定や予断排除など)の説示を公開の法廷で行なうことが義務付けられていない。
10、部分判決制度は裁判員制度に馴染まない(全ての手続に参加している裁判官の判断を追認するだけになる危険大)
11、拙速審理への懸念が払拭されていない。
12、国民への最高裁や法務省からの一方通行の広報宣伝活動ばかりであり、国民からの批判を受け止め改善する場が設けられていないに等しい。

裁判員裁判で以上のような論点がクリアされているとは、とても言いがたい状況です。
検察側の対策が功を奏しているようで、まだ、重大な判決が出されるような裁判は行われていませんし、メディアの好意的な報道によって、問題点はますます見えにくくなっています。報道自体も減っており、国民の関心は徐々に薄れてきている様にも思います。

今年も12月には新たに来年用の「裁判員候補者名簿」に登録された方に「名簿記載通知」が届きます。今はまだ出ていない「死刑判決」も、いずれ出される時が来ます。このまま、なんとなく続けてしまって本当に良いのでしょうか?
posted by akira at 15:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 裁判員制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

裁判員制度を自分自身の問題として考えられるか(2)

裁判員制度を自分自身の問題として考えられるか(1)の続きです。

もう、7〜8年も前のことです。
児童虐待の研修会とか講演会によく呼ばれていたのですが、そんな折に児童養護施設に泊めていただいたことが何度かあります。

入所している子ども達と一緒に晩ご飯を食べながら会話したりするのですが、家庭で親と一緒に生活している子ども達とは微妙に雰囲気が違います。子ども達は、親に対するアンビバレンツな感情を抱えていますし、他の大人に対しても同じような感情を抱いているようです。

私への視線も「この人なんだろう?」と推し量るような、こわごわとしたものを感じることが多いです。

施設に泊まった時、朝食は混雑を避けて、学校に行く大きな子ども達が食べ終わったあと8時ぐらいからいただくことが多いのですが、その時間は、おちびさん達の食事時間と重なります。

その朝は、2〜3歳ぐらい10数人と一緒でした。
「知らないおばちゃんがいる」という好奇心に満ちた目と、くすくす笑いあったり、指さしたり「おばちゃんだ〜れ?」と率直に聞いてくる子どももいて(大きい子どもとは反応が違う)。

そんな中に、こちらが「はっと」するような凝視を送る子どもが2人いました。一人の子どもは、顔といわず体中が一面湿疹で覆われていました。アトピーとは違うようでしたが、よく見ると手の甲にいくつもの丸いやけどの生々しい傷があります。
もう一人の子どもの顔は、黄色、緑、紫、黒のまだらでした。新旧様々な打撲の痕です。

児童虐待で保護された子どもです。
児相の保護所では、小さな子どもの面倒を見ることが出来ないために、乳児院や児童養護施設に保護委託されるのです。

私自身、経験者なので虐待の悲惨さはよく知っているつもりでした。
でも、自分の体験は程よく風化しているので、それほどの生々しさはありませんでした。自分の体験をどこか突き放してみているような感じで、私の体験を聞く人ほどには自分の体験が悲惨であったと思ってなかったのですが・・・。
傷だらけの子ども達の姿はかつての自分が、目の前に現れたような衝撃でした。


裁判員制度では、傷害致死や保護責任者遺棄致死などの虐待がらみの事件も対象になっています。

裁判員は写真で、そのような子どもの姿を見ることになるでしょう。一般の人が、その姿を目にすればきっと加害者である親のことを「鬼畜」「人でなし」と単純に思いこむのだろうと思います。

裁判官は児童虐待に対して一般人程度の知識しか持ちませんが、親が子どもを殺めても、他人を害するよりは量刑は軽くなる傾向はありました。そこに、一般人の常識が6人分追加されてしまうのであれば、
当然、今までより厳罰化が進む事になるでしょう。

たいていの場合、親の生育歴などが開示され、親も子どもの頃に同様の体験をしていたという事実が明らかになります。
それでも、一般的な感情では「自分も同じ体験をしていたのに、なぜ虐待したのだ」ということに、なってしまうんだろうなと思います。
(今まで、そういう言説をいやというほど見てきましたから分かります)

自分が子どもを持って初めて自分の体験に気付いたり、自分が育てられた方法を手放せない人もいます。

子どもが亡くなって裁判沙汰になるまでに、児童相談が介入しているケースがほとんどですが、不幸にも子どもは保護されず、親には「指導」が与えられるだけで、きちんとしたプログラムはほとんど行われていません。

親に厳罰を課してなんの意味があるでしょう。罪に対する償いは必要ですが、懲役刑が彼や彼女らの本当の問題を解決できるとは思えないのです。

司法が介入することで、「そういう親は捕まえて厳しく罰すればいいのだ」という風潮が助長されていく事を危惧しています。
虐待防止に力を注ぐよりは、その方が簡単でお金もかかりませんから。

私にとっては、この問題も性暴力被害者のプライバシー問題と同じぐらい切実な問題なのです。

posted by akira at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 裁判員制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

裁判員制度を自分自身の問題として考えられるか(1)

昨日の保坂展人のどこどこ日記で、匿名の司法関係者から裁判員制度の実際の運用に関わる深刻な投書というのを紹介していました。

おおざっぱに要約すると「外国人の犯罪組織を背景とした麻薬の密輸事件は裁判員制度の対象になっているが、通訳を通しての審理が3〜5日では終わらないだろうし、第一、犯罪組織から裁判員の安全が守れるのか」という問題提起。

これは、裁判員裁判の対象除外になる「例外事件」にズバリ当てはまりそうなので、さほど問題にはならないのではないかと思いますが…。


以下は問い直す議連が出した「12の論点」です。

[裁判員――国民の権利・義務をめぐって]
1)思想・信条による「辞退」や面接時の「陳述拒否」が認められない
2)守秘義務・虚偽陳述の罰則が重すぎる
3)「無罪」の判断をしても強制的に「量刑評議」に参加を強いられる
4)死刑判決を全員一致ではなく「多数決」で行うこと

[被告人の防御権]
5)裁判員裁判を受けるか否かの「選択権」が被告人にないこと
6)取調べの可視化が実現していないこと
7)公平な裁判のための条件は整っているか

[裁判員制度の基本構造]
8)放火・殺人等の「重大事件」が対象となっていること
9)裁判員への説示を公開の法廷で行うことが義務付けられていない
10)部分判決制度は裁判員裁判の対象外にすべき
11)「拙速審理」に対する懸念が払拭されていないこと
12)国民への一方的な宣伝ばかりで説明をしていない

今までの裁判員制度反対の議論は、主に「憲法違反である」という視点からなされてきたのではないかと思うのですが、その視点からだけでは保守系の人たちへの説得力に欠けるのでは?とずっと思っていました。

「裁判員になりたくない」という人が多いというアンケート結果が出ていますが、「自分がなりさえしなければ裁判員制度は続けても構わない」という消極的な肯定派も多く含まれているのだろうと考えます。
そういった人たちは、自分が候補者名簿に載らない限り、問題を真剣に考えてみようとは思わないでしょう。


自分にとって切実な問題だと思えるかどうか…。

今後、議論を盛り上げていくためには、保坂議員が取り上げているようなピンポイントな議論が必要になってくるのだろうと思います。

posted by akira at 16:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 裁判員制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月16日

足踏み

間近とみられていた「裁判員制度凍結法案 」の提出が延期されてしまいました。残念…。
保坂展人のどこどこ日記「かんぽの宿疑惑」野党PT合同告発と
総会で法案の内容は了承された。ただ、民主党の状況を聞くと、有志議員の判断による「凍結・延期法」の提出について、その手続きや方法について異論があるということらしい。「なるべく今日中に出したい」と原口・川内両議員は駆け回ってくれたが2時半過ぎになって、「代表選の最中なので、意見集約をする物理的な余裕がない。無理をしないで、新代表が決まってから動きたい」とのことだった。


裁判員制度に新たな問題点が浮上も併せてお読みください。


※今日から再び熊本に行ってきます。火曜日には帰ります。
それまで諸処の対応が遅れがちになると思います。申し訳ないです。

posted by akira at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 裁判員制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

裁判員の個人的な体験が量刑に影響・・・?【追記有り】

【追記】
■保坂展人のどこどこ日記
「裁判員制度、冤罪への危惧と問題点」(福島みずほ・転載)
上記記事の中で、裁判員制度に関する意見を募集しています。
とのことなので、意見としてTBを送ります。

タイトルが分かりにくかったので変更しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・追記ここまで・・・・

裁判員制度について、これまで、いくつかの問題点を書いてきましたが、新たな問題点に言及してみたいと思います。

先日、福岡地裁の協力を得て毎日新聞が行った模擬評議の記事を読みました。
毎日新聞 2008年9月12日 西部朝刊
ズーム九州山口:模擬評議を開催 裁判員に市民困惑

 来年5月から始まる裁判員制度に向けて、全国の各地裁が来年1年分の裁判員候補者数を決め、名簿の作成を進めている。一方で、毎日新聞が福岡地裁の協力を得て模擬評議を実施したところ、参加者からは制度のPR不足を指摘する声や、責任の重さを不安視する意見が出た。政局の行方次第では制度自体が見直される可能性もささやかれ、裁判員となる国民に影を落としている。


ローカル面の記事だったためにネット版には上の記事しかありませんでした。実際の紙面では、ほぼ1面全てを当てた特集記事となっていました。(処分してしまい、手元には残っていませんが)

模擬評議で扱われた事件は、傷害致死だったと思います。
事実認定の評議で有罪とされ、量刑を決める時に、懲役8年〜執行猶予まで、各人から出された量刑には大きな差がありました。

※量刑を決める時は、各人から出された量刑を重い順に並べ、過半数つまり重い方から5番目の意見が量刑となります。

死刑廃止と死刑存置の考察
「模擬裁判 〜 ある連続殺人事件公判にて」の図がとても分かりやすいです。


この評議で、一番重い量刑を出した男性は、交通事故で子どもを亡くされた被害者遺族でした。模擬評議中の意見や、後のインタビューで、自分の体験と量刑判断には関連があると述べています。

無作為に選ばれた国民が裁判員となるわけですから、上記の模擬評議のように(事件、事故を問わず)何らかの被害体験を持った方や被害者遺族が裁判員に選任されることもあり得ます。あるいは他の事件の加害者の関係者が選ばれることもあるでしょうが。

一般市民が、自分の持つ被害体験を乗り越え(影響されず)公正な判断をすることは、殆ど無理ではないでしょうか。
また評議中に、そういった人が体験を吐露などすれば、同席している他の裁判員に影響を与える可能性も否定できません。(昨今の被害者遺族へのシンパシーの大きさを考えると、むしろこちらの方が影響は大きいと思います)

このような裁判では、偶然選ばれた裁判員(個人の体験やそれに基づく価値観)によって量刑が変わってしまうことになり、被告人にとっては、くじ引きで量刑が決まるのと同じことでしょう。

他参加者のインタビューで、裁判員による裁判と、裁判官による裁判を被告人が選べるようにした方がよいという意見がありましたが、私も同じ意見です。
裁判員制度を取り入れるのなら、被告人に選択権を与える必要があると考えます。
posted by akira at 17:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 裁判員制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする