2010年07月29日

いつ、誰が、誰に、どういった場面で

昨日書いたエントリに頂いた反応の中に「時と場所」だけでなく相手がどういう人か、どういう状況にあるかを考えないとダメでしょ(大意)というものがありました。
少し補足します。

「時を選ぶ」には、相手がどのような状況にあるかという時勢が含まれますし、「場所を選ぶ」というのは、家庭内(自分の子どもが対象)なのか、友人や近しい人との雑談中なのか、など、話す相手が誰か、どういった場合に話すか話さないかという選択も当然含まれます。

前提としてそういったことを考えながら書いたわけですが、一般に「性暴力被害からの自衛法」を誰かにアドバイスする機会は、あまりないと思います。
私も、いろいろな場面で何度も「レイプ神話」を否定する話(被害者責任論の否定)をしたことはありますが、経験や知識を元に「性暴力被害からの自衛法」をアドバイスしたのは、自分の子どもだけです。

想定できる例外的なケースがあるとすれば、子どものための防犯教室のようなものでしょうか。

CAP「子どもワークショップ」というプログラムがあります。
( NPO法人 CAPセンター・JAPAN http://www.cap-j.net/ )

私も10年ほど前に大人のためのワークショップに参加して、「子どもワークショップ」が、どのようなプログラムかを知りました。
対象となる子どもの年齢や環境による5つの段階のプログラムがあります。誰しもが持っている基本的な人権の話(自信、安心、自由)から始まり、「いじめ」「連れ去り」「性暴力」などからの身の守り方や(どの程度の距離まで近づいてもいいか、声をかけられたらどう答えるか、危険が迫った時の特別な声のだし方など、具体的な方法)、被害にあったらどうすればいいか、そして「被害にあったのはあなたが悪いからではない」というメッセージまで盛り込まれたワークショップは秀逸です。(それでも、すべての人を傷つけないという保障はない)

また、ワークショップ後に自分が遭った被害を打ち明ける子どももいるため、ワークショップの事前準備として、主催者(学校や子ども会など)に対処法をレクチャーする事までをも含みます。

「自衛法」を人にアドバイスするには、このような周到な準備と心構えがないとできません。素人が不特定多数を相手に何か言えるような簡単なことではないと私は考えています。

posted by akira at 14:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 性暴力被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

「私が考えた自衛法」

はてなハイク界隈で
悪意のない被害者落ち度論」というキーワードで議論が盛り上がっています。ちと、感想などを書いてみます。

性犯罪を防ぐための有効な自衛の方法を、どんなときも語ってはいけないのか?という問いに対して、私自身は「時」と「場所」を選んで話すのであれば問題ないという考えですが、その場所はネット上ではないだろうと思います。

ずいぶん前の話ですが、福岡県警の警察官がとあるTV番組で、性犯罪加害者が、どのようなシチュエーションで被害者を物色するかという話をしていました。
かなり具体的に語られていたその方法を、私は此処に書く事ができません。自衛のためには非常に役に立つ情報ですが、加害者予備軍にとっても有効な情報になり得るからです。性犯罪被害に遭われた方たちの中には、犯行手口を示唆することになるので、詳細を語ることを避けている人もいます。

ネット上には「性犯罪被害に遭わないために」という趣旨の文章が、かなりあるのではないかと思いますが、それが本当に「自衛」や「防犯」に役だっているかというのは疑問です。そういった文章に書いてある範囲の自衛法は、ほとんどの人がやっているわけですし、自衛法の範囲を広げれば、日常生活すらままならなくなります。(コストの面でも、時間の面でも)
方法を知っていて、それを怠ったときに被害に遭えば(たまたまだったり、どうしようもない事情がある場合でも)、被害を受けた自分を責める事になりますし、多くの方法を知れば知るほど、身動きできない状態に陥ります。
また、性犯罪(や性暴力被害)の加害者は被害者の身内や顔見知りというケースのほうが多いので、上記のリンク先のような方法はそういった場合には役立ちません。

ネット上で行われる「自衛を考える議論」というのは、害はあっても利は少ないだろうと思います。
ましてや、はてなハイクなどで行われる議論は、流れ去っていきますし、そこに参加した人たち以外にはアクセスしようもない議論ですしね。(被害に遭う前の人がたどり着いて「いい情報があるじゃん」となることは、たぶんない)

なので私自身は、「私が考えた自衛法」をネット上で語ろうとは思いません。

■補足エントリhttp://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/9593319.html
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2010年04月27日

私信のような、そうでないような。

「人の心を傷つけてはいけない」という間違った考え - はてこはだいたい家にいる
というエントリについて、私は、はてなブックマークで以下のようなコメントをしました。

階層1
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100424/Conscience
akira-2008  コミュニケーション この文章のどこから『性暴力からの具体的な自衛手段』を読み取ったらいいのか、どうしても分からない。/ひょっとしてここ?>『あなたはあなたの行動と良心に責任を持たなければなりません』2010/04/25

階層2
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100424/Conscience
akira-2008 http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20091229/1262062312 からぐるっと回って着地点がここ。ある意味で納得。 2010/04/25
 

それに対して、manysided-多面体さん、PledgeCrew-かつさん、y_arim-有村さんから、相次いでIDコールをいただきました。このエントリは三氏に対する返信です。
まずは簡単に、それぞれのコメントに対する直接の応答をします。

■多面体さんへ
manysided id:felis_azuriさんid:akira-2008さんは誤解されてる。はてこさんは本当に悪意ない。悲しんでるかも。確かに具体的な自衛手段と聞くと構えてしまうけど、例えば私が被害者のための具体的な法廷戦略を書くのと同じじゃないかな 2010/04/25

はてこさんに悪意があると思ったからコメントを書いたのではありません。あのエントリのどの部分が「具体的な自衛手段」にあたるのか、私には読み取れなかったので疑問に思ったことを提示しただけです。はてこさんの内心については多面体さんはそう考えていらっしゃるのですね。としか申し上げることができません。

もうひとつのコメントは、なぜこの文脈でご自身の病気のことを開示されたのか、はてこさんの持病のことを示されたのか、また、そのことで何を伝えたかったのか理解できませんでした。申し訳ないですが、この件に関しては保留とさせてください。

■かつさんへ
PledgeCrew id:akira-2008 DVや虐待、性暴力とかの被害者で「自己肯定感」の欠如に悩む人とかも多いのでは。そういう人らがこの文の対象なのでしょう。本人はハイクで「親子関係こじれてる人たち」と書いてます。批判はそれからでも 2010/04/25

どういった方が対象であるかについて、「確かに「信者」を集める危険性はあるけど」という言葉で、かつさんも指摘していらっしゃいます通り、あのエントリは一般向けと読まれる可能性が大きいことは間違いないでしょう。しかし、私はそのようには読んでいません。はてこさんのblogエントリはいわば「連作」ですので、前のエントリの流れを汲み、あるコメンターさんへの応答として書かれたものというふうに理解しています。その他に想定される読者として、DVや虐待、性暴力などの被害者が見込まれていることは同意です。

IDコールに先立つコメントに「宛先が違えば論理も変わる。」と書かれていることから、私が、はてこさんのこれまでのエントリとの矛盾を指摘していると受け取られたのではないかと考えたのですが、いかがでしょうか?
それを前提にお答えさせていただきますと、私は、はてこさんの「連作」には、ある主題が繰り返し登場すること(連作ですから、当り前なのですが)から、コメント中のリンクで示したエントリとの共通点、またblog全体を通しての一貫性に対し「ある意味で納得」と書きました。

また、批判は早いとのご意見に対するお返事として、最後であのコメントを書くに至った経緯を説明したいと思います。

■有村さんへ
y_arim メタブクマの翼, メタブクマに続く id:akira-2008氏へ:まず、これはid:manysided氏のブログタイトル「あなたは悪くない」に通じる話。「人の心を傷つけてはいけない」的考えのひとは自尊心が低い。性暴力被害に遭っても自分を責めるんですよ。(つづく) 2010/04/26

y_arim メタブクマの翼 (つづき)id:akira-2008 あと、これはデートレイプやDV、性的虐待からの自賊手段と考えるとわかりやすいかと。「あなたの愛する人があなたを深く傷つけ」ることに対しては、相手を傷つけてでもNOをつきつけねばならない。2010/04/26

私宛ではないですが、はじめに書かれたコメントも含め応答させていただきます。
有村さんの最初のコメントで、かのエントリは共依存やAC関連の書籍の内容に合致すると書いていらっしゃいましたが、私も同じような印象を持ちました。トラウマ治療等でよく使われている「認知療法」の理論を基に書かれているからなのだと思います。

冒頭の「人の心を傷つけてはいけない」だから「自分は誰からも傷つけられるべきでない」という思い込みを持つことで、「自分を傷つけるすべての人を断罪しなければならなくなる」に続く主張は、この思い込みを転換せよということですね。
ここで認知療法を使うならば、「人の心を傷つけてはいけない」から「人の心を傷つけてもいい」ではなく「時には人の心を傷つけることもある」に、「自分は誰からも傷つけられるべきではない」から「時には人に傷つけられることもある」に転換を図るのではないかと思います。はてこさんの論はちょっと極端だなと感じました。
また、「すべての人を断罪しなければいけなくなる」というのは論理の飛躍で、これに続く文章には無理があると言わざるをえません。

蛇足ですが、これらは、アンガー・マネージメント(怒りのコントロール)にも使われる手法です。怒りに関する問題を持った方が、人から傷つけられた(と自分が感じたときときに)自分の怒りを抑え、相手にぶつけないためにも使われます。怒りの感情そのものは悪ではありませんし、怒りは他者から傷つけられたというセンサーの働きもしますので、むやみに抑えこむのは危険ですけれども。(特に被害体験を持つ人は、このセンサーがうまく作動しないこともあります)

はてこさんの文章を読んで勇気をもらったり回復の役に立った人が沢山いることは幸いです。
あのエントリについては論理の飛躍は見られるものの、他に反論したいところはありません。



最後に、私がなぜコメントをしたのか、その経緯を書きます。

昨年の「曽野綾子騒動」は記憶に新しいと思います。最初に、はてこさんの文章に触れたのはその騒動の最中でした。

性暴力とがんや難病になりやすい性格論に見られる共通の問題-はてこはだいたい家にいる
へのブコメに「一緒に考えましょう。という言葉を拒む人はいないでしょう。これまでの議論は本当にそういうスタンスだったのでしょうか。ちょっと冷静になってからもう一度読みます。」と書きました。

私が乳癌の治療を受け始めたばかりだったということもあり、「がんの原因は性格説」(これに関しても反論はありますが、応答への趣旨から外れますので割愛します)を引用して、性暴力の自衛論と絡めて書かれていることに大きな苦痛を感じました。自分自身の状態から冷静な議論は無理だと判断し、疑問の提示にとどめ反論は控えました。このエントリへの消毒さんからの反論(というか批判というか…)を、後に読ませていただきましたが、私も同じように考えています。

続くエントリでは一転して、被害者への提案という被害者サイドに立ったもので、前のエントリとの落差に違和感を覚えました。

それ以来、はてこさんのエントリは殆ど読んでいます。なぜ読み続けたかといえば、(単独のエントリとして読めば同意できるものも多いのですが)エントリごとの、はてこさんのポジションの取り方が極端に違うことに対する「違和感」を払拭したいがためだったのだろうと思います。
読むうちにblog全体を通して、繰り返し表現されるいくつかの「主題」があることに気づきました。その「主題」に関しては、はてこさんの内面を忖度することになりますし、「主題」を私が語ることは、他の意味合いを持ってしまう可能性もあるので控えさせていただきたいのですが、かつさんへの応答で書きましたたように、blog全体を通しての「主題」の「共通性」「一貫性」に対し「ある意味で納得」し、先の違和感も解消しました。それを書いたのが階層2のコメントです。

ブコメでは批判らしい批判はしてないつもりですが、そのように受け取られてしまったのは私の表現の仕方にも問題があったのかもしれません。
今回、三人の方から一時にIDコールをされるという私にとっては非常に珍しい事態で、対応に時間がかかり申し訳ありませんでした。

※ラブログの操作画面のバグで、ところどころ文字化けしているところがありました。チェックはしましたが、まだ残っていたらごめんなさい。
posted by akira at 18:45| Comment(9) | TrackBack(1) | 性暴力被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

ぬちぬぐすーじさびら

「沖縄幻想」 奥野修司著 洋泉社 という本を読んだ。
と言っても感想を書こうとかいうわけではない。(というか、私は、いまだ沖縄を語る言葉をもたないので)
この本で出会った「ぬちぬぐすーじさびら」という言葉に、心が打ち震えてしまって、どうしても書かずにいられなくなってしまっただけ。

「ヌチヌグスージサビラ」沖縄タイムス<2000年10月3日>
(アップした直後に、リンク切れで記事が読めなくなってしまいました。まだキャッシュは残っているようです)

終戦直後の石川市。沖縄戦で米軍が造った避難民収容所とその周囲には、戦火に追われた三万の人々。人口二千人の農村は数カ月で“大都市”に変ぼうした。テント、かやぶきの掘っ立て小屋、仮設住宅がすき間なく立ち並ぶ。

 多くの人が知らない土地で、戦争で受けた傷を癒す間もなく、その日を生き延びることで精いっぱいだった。軍作業に駆り出され、食糧と物資の確保に追われる毎日。住民はそれぞれ親せきや出身地ごとに毎晩のように集まったが、明るい話題などない時代だった。

 そこに突然、現れた風変わりな男。それがブーテンだった。

 「ヌチヌグスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」。民家から、すっとんきょうな甲高い声が響く。「ジャカジャカジャン」。三線が鳴り、うたげが始まる。突然やって来た中年の男が、即興の歌を民謡の節に乗せ、琉舞を崩したヘンテコな踊りを舞う。珍客にあぜんとする住民たち。だがやがて、ユーモラスな姿に乗せられ、一緒に踊りだす。終戦の年、四十八歳のブーテンはそうやって地域を回った。

 当時、ブーテンに連れられ民家を訪ね歩き、後に弟子となった芸能家・照屋林助さん(71)の印象に残っているシーンがある。

 ともに訪問したある屋敷。家の中には位牌(いはい)があり、家主が涙を流していた。「何でこんな悲しいときに歌うの」。問われたブーテンは答えた。「亡くなった人たちのためにも生き残った者が元気を出して、沖縄をしっかりつくっていかないと。はい、スージ(祝い)しましょう」。彼の言葉に家主の表情が変わった。林助さんはそのとき、芸能の力と、その魅力を引き出すブーテンの天賦の才能を感じた。


児童虐待やDVあるいは性暴力被害などの被害体験を持つ人の事を、敬意を込めて「サバイバー」と呼ぶ。困難な状況を生き抜いた人という意味で使われる。そして自助グループではサバイバーどうしを「仲間」と呼び合う。

性暴力被害者は、事件のせいで(司法に訴えるかどうかは別として)、仕事や住居を変えざるを得なかったり、身体的精神的な後遺症によって、それまでの生活が一変してしまうことも多い。事件を知られてしまえば、周囲からの心ない言葉や中傷が待っている。そんな状況の中、声をあげることも語ることもできずに、自分を責め続けてきた多くのサバイバーを知っている。その中には、力尽きてしまった仲間が何人もいる。

今回巻き起こった「自衛(という名の被害者責任)論」にまつわる議論の中で、「犠牲者非難」という表現を目にした。被害者ですらなく「犠牲者」と呼ばれることは、この議論の性質を物語っているようにも思える。

「自衛論」は、何も目新しいことではなく、過去から散々言われてきた「強姦神話」の一つに過ぎないが、それを見聞きするサバイバーにとっては、命取りになりかねない重大な発言だといえる。
私のようなひねたサバイバーでさえ、事件直後の周囲からの罵声を思い出したり、覚醒度が上がってしまい眠れない夜を過ごすハメに陥るのだから、事件直後、あるいは、まだ何処にも繋がることの出来ていないサバイバーならなおのこと「お前にも責任があるんだ」という言葉は重い響きを持つだろう。

私が、こうして書き続けているのは、今もつづいている「自衛論」を対抗論で埋め尽くすため。「自衛論」より少しでも多く被害者の目にふれるように、今日も懲りずに書いている。


これを読んでくれている仲間たちへ

よく生き残ってくれましたね。
そして、これを読んでくれてありがとう。
私は、あなたが生きているために、どれほど苦しんだかを知っています。
あなたが生きていることは幸いです。

ぬちぬぐすーじさびら
命のお祝いをしましょう。



一緒に読んで欲しいエントリ

「自衛」を主張したって無意味です。
http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091223/1261573269

男性サバイバーからのメッセージ
http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091217/1260987389

男たちももっと楽になれるはず。
http://sivaprod.exblog.jp/12512343/

ことばに見放されるということ。
http://d.hatena.ne.jp/kananaka/20091218/1261157972

posted by akira at 01:49| Comment(4) | TrackBack(1) | 性暴力被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

「二次被害論者」って、私のこと?

■[戯言] 男性蔑視と差別の話

上記エントリ、コメ欄へのはてなブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/narusase/20091207/p1%23c1260865277

ここの議論を読んで、対抗論者の方たちの辛抱強さに心打たれたました。こうして、対抗論を積み上げてくださる方がいることに、光明を見る思いがします。「自衛論」という名の「被害者責任論」への反論は出尽くしたと思っていましたが・・・。

現時点での最新コメント(blog主であるnarusaseさんから、対抗論者のひとりであるfjskさんへの返信)を読み、急遽エントリを上げることにしました。(一気に書いたので推敲していません。読みにくいと思いますが、ご辛抱ください)

私は「自衛論」そのものを否定するものではありません。用法用量を守って書いてくださる分には、どうぞおやりくださいと思っています。
ただ、私が不思議でならないのは、なぜ今のこのタイミングで言い始めるのかということなのです。今回ばかりでなく、このような言説が吹き上がるのは、何かの事件があり被害者にも非があるという(有名人による)二次加害が行われた後です。

そして、「燃料投下」とか「「リスクを想定しないのは自己の責任」ということでFA」とか「自衛しないことのリスク、コストは自分で支払えよ」などの言葉で語りながら、「被害者責任論ではなく、あくまでも自衛の必要性を訴えているだけ」と言われても、どうしても、そう受け取れませんでした(受け手である私の感性の問題なのでしょうか?)。私は上記エントリの内容を「被害者責任論」だと考えています。
と、前提ををはっきりさせたところで本題にうつります。


私がこのエントリを書こうと思うきっかけになったコメントのやり取りを以下に引用します。

fjskさんのコメント
http://d.hatena.ne.jp/narusase/20091207/p1#c1260865277
>ねじ曲げず、まっすぐに「身を守れ「なかった」ことに責任はないんだ」と言い続けないのですか?言い続けてはいけないのですか?
まずここの文章の無邪気さには非常に、非常に怒りを感じた、と先に表明させていただきます。
正直に心の声を書かせていただくなら「お前、被害者のことなど何っにも考えてないだろ!!自分の言葉を引っ込められないってメンツだけじゃねぇか!!」という事です。
まず、「ねじ曲げる」のは私ではありません。事故責任論が闊歩する世間が、女性に「ねじ曲げさせる」のです。


narusaseさんのレス
http://d.hatena.ne.jp/narusase/20091207/p1#c1260983063
「「ねじ曲げる」のは私ではありません。事故責任論が闊歩する世間が、女性に「ねじ曲げさせる」のです。」と「世間」に責任を転嫁していますが・・・自分にはまったくなにも問題がないんですか?
「自衛の議論はセカンドレイプだ!」とそう言って自衛論者を叩き続けているあなた方が、二次被害の一番の発生源かもしれないと考えたことはきっと無いのでしょうね・・・

まず、危ないから自衛をしようよ、やってるなら続けていこうよ、という自衛論者たちに「自衛の議論はセカンドレイプだ!」と二次被害論者たち襲いかかり、マッチポンプで炎上が始まる。
その結果として、本当に二次被害を受けている人に炎上によって過激化したきつい意見の応酬が目に入ります。
で、二次被害論者たちが炎上させた議論を読んだ本当の「二次被害者」が苦しむ。
その苦しみを見て二次被害論者は「ほらやっぱり!」「自衛の議論はセカンドレイプだ!」とさらに叫びたてさらなる延焼を促すとともに、「二次被害者」をさらに追いつめていく。
・・・そう言う構造を考えたことはないのでしょうか?


この部分を読んで言葉を失いました。
まず、驚きを禁じ得ないのは、narusaseさんからfjskさんへ投げつけられたこのセリフ。

ねじ曲げず、まっすぐに「身を守れ「なかった」ことに責任はないんだ」と言い続けないのですか?言い続けてはいけないのですか?

あの・・・。
fjskさんはじめ対抗論者の方達は、被害者には「身を守れ「なかった」ことに責任はないんだ」という説明をし続けているのですよ。その文言そのものを書かないと読み取れないのでしょうか。

fjskさんは「自衛論は正しくない」とする自説をnarusaseさん完全に理解させるためだけにコメントを書いているのではありません。(narusaseさんは、そう考えているのですね)
fjskさんが書いた「私がしているのはもしここを見ている被害者女性がいたときに「こんな論外な意見を肯定するのは少数派で、気にする必要もない」と言うことを示す事です。」という言葉は、伝わっていなかったようです。被害者に「あなたは悪くない」と伝えるために書き続けていらっしゃるのです。


まず、危ないから自衛をしようよ、やってるなら続けていこうよ、という自衛論者たちに「自衛の議論はセカンドレイプだ!」と二次被害論者たち襲いかかり、マッチポンプで炎上が始まる。
その結果として、本当に二次被害を受けている人に炎上によって過激化したきつい意見の応酬が目に入ります。
で、二次被害論者たちが炎上させた議論を読んだ本当の「二次被害者」が苦しむ。

どこまで卑劣な人なのでしょう。これほどの詭弁は見たことがありません。「児童ポルノがなくなれば、犯罪が増える」と同じ類の、しかも、もっと悪質な「脅迫」です。
自分が暴れるのは、それを止めようとする人のせいですか。
責任転嫁は大概にしなさい。

narusaseさん命名の「二次被害論者」に、私も入ってしまうのでしょう。前のエントリでは、コメ欄に「自己責任論者」が登場しましたし、二次加害をやめてくださいと声をあげる度に、そういう人が登場するのは定番ですから、エントリを上げた自分を責めることもあります。

しかし、やめるわけには行かないのです。
言わない気持ちはなかったことにされてしまうから。

被害当事者だと表明したうえで「被害者責任論」などの二次加害行為を批判している方もいらっしゃいますが、それは非常にまれなことです。まず自分の恐怖心と闘わなければ声をあげることはできませんし、だいいち、声をあげるためとはいえ、二次加害となっている言説を読み続けるには途方もないエネルギーが必要です。

声を上げられない被害者がほとんどでしょう。

一昔前には考えられないほど被害当事者でない沢山の方が声を上げてくださるようになりました。「あなたは悪くない」というメッセージが、そこかしこで見られるようになり、なんとか声を上げようとしている人にとって、大きなエールになっています。


一連のエントリの議論では、〇〇さんだけでなく、中立の立場から多くの方が発言されました。そして、多くの二次加害も発生してしまいました。

続ければ続けるほど、そういった発言を引き出してしまう議論に何の意味があるのだろうかと思い悩みもしました。しかし、反面、中立という立場でセクハラ被害を語ることの危険性が先鋭化し、大きな問題点として浮かび上がってきたことも事実です。
(中略)
また、被害者ではなくても、想像力によって被害当事者の側に立ち、そこから語ることも可能であるという多くの実例を見せて頂いたことは、一連の議論から得られた大きな希望となりました。

Posted by akira at 2008年10月29日 12:42
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/7685149.html#comments
これは去年、このblogで二次被害が起き、終息したときに書いたコメントです。(一部伏字にしています)
今も全く同じ気持です。

また「被害者にも非がある」という言説がふき上がれば、私は、その度に同じ事を言い続けるでしょう。「二次加害はやめろ」と。

そして「被害を受けたのは、あなたのせいではない」と、なんどでも。




※ここは、多くの被害当事者が読んでいるblogです。
それを、前提として配慮あるコメントをお願いします。
コメント削除はなるべくしないつもりですが、どうしようも無いと判断したときは早めに対処します。
posted by akira at 02:14| Comment(16) | TrackBack(2) | 性暴力被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする