太古の昔から…

日本熊森協会(以下、熊森と表記します)が行っている「どんぐり置き」に対して、様々な視点から批判が集まっています。

まずは最近の意見のいくつかをご紹介します。
ドングリまき(置き)の言い分 その1 - 日々是雑感 -
ドングリまき(置き)の言い分 その2 - 日々是雑感 -
ならなしとり(熊森批判シリーズ連載中)
絵本「どんぐりかいぎ」で学ぶ熊森ドングリ運びの問題点 - 紺色のひと


熊森側がいう「どんぐり置き」の根拠は、以下のようなものだと私は考えています。

・近年、ツキノワグマなどの野生動物が人里に出没しているのは、戦後の拡大造林のせいで森が破壊され、動物たちの食べるものが減っているせい。

なぜクマたちは今山から降りてきてるの?
戦後の拡大造林で、国土の1000万ヘクタールが杉ヒノキの人工林になりました。しかも、そのほとんどが放置されているので、外見は一年中緑色で綺麗ですが、中は真っ暗で草も無くて、虫も鳥も動物も棲めない、食べ物もない、そんなところになってしまっています。そんな人工林は保水力も無く、水も生みません。

そして今年は、国土の7%(=全森林の11%)残っているといわれている豊かな自然林に、夏から食べ物がなくて、動物たちは飢えて山から降りてきているのです。

・クマは絶滅危惧種なので保護しなければならない。

SOS②ーくまもりNewsー
今年はなぜか、山に木の実ゼロの異常事態が・・・ 食料を求めて人里に出てきては、クマが連日、捕殺されている。 これでは、クマが絶滅してしまう! クマは多くの地域で絶滅危惧種なのです。

・人間のせいで追い詰められた動物たちを殺すべきではない。

10/25 あと4頭?愛知県のクマが、イノシシ罠に、また誤ってかかる
第一、イノシシですが、人間が、動物たちの棲めないスギだけの山にしておきながら、里に出てきたイノシシに対しての対応は殺すだけというのも、人間として、どう考えてもおかしいと思うのです。
 
捕殺寸前アライグマの赤ちゃんの救出に成功!
島根県出雲市・弥山(みぜん)山地のシカ捕殺について


・猟友会はお金目当てでクマなどを殺している。

石川県ツキノワグマ、「有害捕殺」の名を借りた乱獲実態の改善を求める
3、有害捕殺個体を、有効利用と称して解体し、高く売れる肉や熊の胆をみんなで分け合って利益を得ている。これは、有害捕獲に名を借りた乱獲狩猟である。多くの人達にクマ肉などを分けて、口封じをしている。


まとめると、「人間のせいで絶滅に追い込まれているクマや、飢えて里に下りてくる動物たちを殺すな。ハンターは金儲けや楽しみのために殺している」熊が里に下りきて殺されないために「どんぐりを置くのだ」ということのようです。それぞれの主張には反論すべき点は多々あります(自然林率や熊の生息数、金儲けのための捕殺などなど)が、ここでは、以下の主張についてのみ、私の考えを述べます。

11/15 狩猟解禁日のハンターのブログ <さっそくクマ2頭狩猟>
森を復元し、棲み分けを復活させ、この国を、かっての野生鳥獣を殺さない国にもどしたいという私たちの考えに賛同して下さる方は大変多いと思います。

同じような表現はこちらにも
野生動物保護活動
鳥獣を殺生しないことこそが、日本文化のはずです。
 

それは、はたして本当でしょうか?

どこまで歴史を辿ればいいのか分かりませんが、過去に日本で野生動物を殺さなかった時期はないと言ってしまって良いと思います。皆さんご存じの通り、旧石器時代と言わず縄文時代や弥生時代の遺跡からもクマやイノシシ、シカなど動物や鳥の骨は数多く出土しています。それ以降、仏教の影響を受けた貴族階級ではシシ肉などの獣肉を食べる習慣は一時期無くなりましたが、キジやカモは食べられていましたし、農民は獣肉も摂っていました。(農作物だけで生きていけるほど豊かではなかった)

参考:縄文時代から現代までの食


狩猟の歴史(主にツキノワグマ猟)については、古文書などの史料が多く残っている近世を見ていくことにします。
猟師と言ってまず思い浮かぶのは「マタギ」ではないかと思いますが…。日本全国に猟師は存在していました。

「狩猟民族研究 ー近世の猟師の実像と伝承ー 」永松 敦(2005.2)によれば、貞亨4年(1687)(初発は貞亨2年説が一般的)に発せられた「生類憐れみの令」の大きな目的は、生類の保護と言うより鉄砲の取り締まりであり、それに先立つ延宝4年(1676)7月令により、関八州における鉄砲の取り締まりが徹底されました。その後鉄砲の取り締まりは全国的になっていきます。
それまでは戦国時代に大量につくられた鉄砲は各地に散在しており、農民や郷士階級の武士(半農民)が、かなりの数を所持していたようです。

鉄砲改め以降、鉄砲の用途は厳格に規制されていました。
1)用心鉄砲 →物騒の地に許される鉄砲。
2)月切鉄砲 →猪鹿による作毛への被害ひどい場合に空砲で脅す。月単位で許可されていたので月切鉄砲と呼ぶ。
3)断鉄砲一 →2)と同じ用途で無期限
4)断鉄砲二 →猟師鉄砲

鉄砲改めで、猟師には「断鉄砲二」を許可し、鉄砲の所有許可証である「猟師札」を付与、獣肉や毛皮の利用を許可しました。「生類憐れみの令」発布以降も、田畑や人に害を及ぼす害獣に限り駆除は許されていました。(猟師ではない農民も駆除することは許されていたが、獣肉や毛皮の利用はできず土中に埋めなければならなかった)
ちなみに、「盛岡藩雑記」元禄10年(1697)5月27日の記録では、藩内に478人もの猟師が存在していたと書かれています。

東日本、特に東北諸藩の猟師(マタギを含む)に特徴的なのは、薬種となる、鹿の耳、猪の鼻、熊の胆や熊の毛皮の上納が藩から義務づけられていたことですが、すべての猟師に要請されていたのは、狼、猪、鹿などの害獣の駆除でした。それほど、鳥獣被害が甚大であったといえるでしょう。

http://www.mutusinpou.co.jp/museum/2007/05/111.html
例えば盛岡藩家老席日誌(雑書)の寛文5年(1665)7月15日条には、田名部から三人のアイヌが盛岡へやってきて藩主に謁見したとあり、弘前藩庁日記(国日記)にも、アイヌが熊撃ちをして褒美をもらったという記事が随所に見られる。

第18回マタギサミットin東京
▼近世弘前藩のクマによる人身被害
「弘前藩国日記」元禄8年~享保5年(1615-1720)の間に死者16名、行方不明1名、半死半生1名、重軽傷21名、計39名の人身被害があった。

第19回マタギサミットin栄村
▲熊の落とし穴
1800年代、秋山郷の集落や焼畑周辺には、熊の落とし穴が幾つもあった
落とし穴は、深さが3.5m~4.5mとかなり深い
この穴を一人で掘ることは不可能で、村仕事として掘られたと推測されている

当時、専門的な狩猟技術をもたない秋山郷では、農作物被害、人身被害に悩まされていた
また熊の胆など漢方薬の需要が高まっていたこともあり、害獣駆除と利用を兼ねて村総出で熊の落とし穴を掘ったのだろう


近世のクマ狩りは主に「春熊狩り」と言われるものです。春の方が上質な熊の胆が取れることと、積雪のために移動が楽なこと、春から夏にかけて山には入る人への被害を減らすため、また、動きの鈍い冬眠空けでないと猟が上手く行かなかったからです。(クマ狩りでは一般的に槍を使っていた。当時の鉄砲では射程距離が短く、熊を一撃で仕留められる程の威力がなかったため)
手負いの熊や人に被害が及んだ場合は、アイヌの猟師に要請することも度々あったようです。(アイヌの猟では毒矢を使うこともあるため)

また、殆どの猟師は、稲作、焼き畑、川魚漁、野草や薬草・茸の採取、手工芸品の制作販売、薬の販売などの傍ら狩猟をしていました。狩猟以外は他の農民と変わりない生活であったと考えられます。しかし、一部に、猟師のいない村に雇われて害獣駆除を行っていた専業(?)猟師の存在もあったようです。また、江戸時代末期には代官所より、農作物の被害を防ぐために鉄砲を借りて、熊、猪、鹿等を駆除をしたという記録も残っています。

ニホンジカは森林性の動物ではない 本来、何処に生息していたのか(PDF)
鉄砲拝借証文

シカやイノシシに田畑を荒らされ困った農民が、ご禁制であった鉄砲を代官所から借り被害を防ごうとしたことを示すもの
農作物に被害を出している動物を対象
親子兄弟の又貸し禁止 村外へ持ち出し禁止 獲物の員数の報告

鉄砲拝借証文の例
http://www.nijl.ac.jp/info/mokuroku/090-11.pdf


今まで見てきたように、太古の昔から人は、自然から与えられた恵として、また、自然からの脅威として動物と向き合ってきました。農業を営むことと狩猟は表裏の行いなのです。



参考
森の狩人マタギ
山の風景「東北の山々とマタギの界隈」
マタギ―日本列島における農業の拡大と狩猟の歩み―(PDF)
近世農民の害鳥獣駆除と鳥獣観(PDF)
「クマ撃ちで金儲け」はウソ 実態は「命がけのボランティア」



補遺:
森と人との付き合いも、私たちが想像しているほど「自然」ではありません。
三内丸山遺跡の建物の殆どが栗材を使用していることから、古代にも人の手が入った里山の利用があったと考えられています。(縄文時代の考古学3 大地と森の中で 縄文の古生態系 小杉康 他編 同成社 2009.5)
しかし、里山は、熊森が主張するように植林でつくられた森ではないようです。

山の風景「東北の山々とマタギの界隈」

実はこの前山のほとんどが栗林だという話になったのです。そこで、「栗林というのはどうやって作るのか、栗の木を植えるのか」と聞いたら、そうではないというのですね。栗は、山の斜面の中くらいのところに多く茂っているものです。そこがもともと栗の比較的多い場所だったのだと言う。そして、「その栗をどうやって増やせばいいんですか」、という質問に対して、三面の小池善栄というおじいさんはこう言いました。「そんなことは時間さえあれば簡単だ」と。栗の実が育って、その実が落ちる。それをリスなどが運んで土の中に埋める。そうすると、そこから栗の木の芽が出てきます。栗の木のまわりには低木が生えているのですが、栗はどうしたって周りの低木よりも弱い。そこで、その低木をぜんぶ伐ってしまって、栗の生長を邪魔するものを取り払ってしまうんですね。つまり、生長を助けるだけだと言うんです。そして、その低木は薪にしたり、畑の柴木にして使ってしまう。これを何世代も何世代も繰り返していくと、結局、全山が栗林になる、というのです。つまり自然更新(天然更新)を人間がちょこっと助けてやることで雑木林を栗林に変えることができるというわけです。


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