2009年11月19日

【裁判員裁判傍聴】問題が山積(2)

私の考えたこと(というか雑感)を書く前に、裁判員として参加された方達の感想を新聞記事から引用します。

性犯罪審理に裁判員苦悩 参加する意義 認める意見も 福岡地裁判決(西日本新聞 2009.10.24)【魚拓
 6人の裁判員の中で唯一の女性だった20代の学生は判決後の記者会見で、「一般女性としての素直な意見が反映される点がすごく大きいと思う」と前向きにとらえた。一方で「被害者にとって、裁判員に名前が知られるとか、(傍聴者にも)具体的な犯行内容が分かる点がきついと思う」との懸念も口にした。

 法廷では、被害女性が事件の状況を詳細に語った調書を女性検事が情感たっぷりに読み上げた。まるで劇を見るような一幕に、裁判員は一様に性犯罪を審理する苦悩をのぞかせた。福岡市の50代の会社員男性は「女性の体の一部を言葉として表現するのはいかがなものか。AとかBなどの表現に言い換えた方がいいのでは」と話した。

西日本新聞10月21日朝刊
当日、傍聴されていた支援グループのメンバーの方とともに、新聞数社から取材を受けました。インタビュー部分は西日本新聞の記事が一番詳しいようです。
ネット版には載っていなかったので切り抜きをスキャンしました。
(~「詳細描写」朗読に疑問も~以降がネットにはなかった部分)
クリックで拡大します。







■ 口頭主義の弊害

裁判員裁判で性犯罪が審理されることの大きな問題点の一つは、被害者のプライバシーが脅かされることです。
裁判所がプライバシー保護に相当気を使っていたことは評価したいと思います。しかし、裁判員の感想や新聞記事にもあるように、被害者が特定されてしまうほど詳細に供述調書等を読み上げる必要はなく、詳細は文書で示し裁判員に読んでもらえばすむ話です。

口頭主義の弊害はそれ以外にも「検察の過剰演出」という形で現れています。個人的には口頭主義を逆手に取った検察側の法廷戦略だと考えていますが、これは性犯罪事件の場合だけではないのかもしれません。

時間をかけ相当な練習を積んで来たことが見て取れました。3人の検察官それぞれが、ナレーション(説明部分)、被害者役・被告人役と年齢も当事者に近い人が「配役」され、感情を込めてというより芝居がかった朗読でした。いささか鼻白む思いがしたというのが正直なところです。裁判員の知性ではなく感情に訴えかけるようなプレゼンでした(検察は裁判員を馬鹿にしているのだろうなぁ・・・と思ったのは内緒)。
弁護人が国選であった場合は、このようなプレゼンテーションは望むべくも無く、被告人の不利は目に見えています。真実の追究ではなく、裁判員の心情のみに訴えることを旨とした、こうした手法がまかり通るようであれば刑事裁判の公平性は失われてしまいます。


■ 供述調書の一人称は「私」

実際に傍聴して気づいたのが供述著書の一人称が「私」になっていることの不自然さです。これまでにもテキストを読んだことはあったのですが、演出付きで聞いてみて供述調書が検察官の作文だということに改めて気づかされました。

被告人、被害者を問わず、取り調べや事情聴取は対話形式で行われるわけですが、そこで警察や検察が何を聞いたかによって出てくる供述が違ってくるのは当然です。しかし、供述調書として出来上がったときには、質問はすべて除かれ、あたかも当事者本人が自分から語ったかのごとくよどみない文章になるのです。供述を切り貼りする検察官や警察官の腕一つで、本人とは全くの別人の様な印象をつくりあげることも不可能ではありません。うまく表現できないのですが、供述調書のなかに検察官がつくりあげた別のキャラクターがいるとでもいいましょうか。これは被害者にとっても辛いことだろうと思いました。

取り調べの可視化を求める声は大きいですが、供述調書を実際の対話に基づいた逐語形式で記載することで、この辺りはクリアできるのではないかと考えました。ちなみに今回の裁判で検察官は、強調したい部分のみ「対話形式」で被告人の供述調書を読み上げたことを特に付記しておきたいと思います。


■ 裁判ショーの観客たち

当日の朝、傍聴整理券の配布を待っていたとき、一人の初老の男性が裁判所職員と押し問答をしている場面に出くわしました。その男性は薄ら笑いを浮かべながら「被害者の顔は見られるんね」と聞いていました。職員にはその質問の意図するところが分からなかったようで「裁判員からは見えるかということですか」「被告人から見えるかということですか」とか「傍聴席から見えるかということですか」など聞き返してましたが、男性は「被害者の顔は見られるんね」と繰り返すばかり・・・。
この初老の男性が聞きたかったのは「今日は被害者が証言するのか。それを自分たちは見ることができるか」ということでした。職員に「被害者は出廷されないと思います」といわれ、少しがっかりしたようですが早々に列に並んでいました。性暴力事件裁判の傍聴を趣味とする人なのでしょう。

抽選に外れたようで傍聴席に件の男性は現れませんでしたが、傍聴席の中央部最前列には先の男性と趣味を同じくすると思われる面々が数人陣取り、公判中は熱心にメモをとっていました。

公開されている裁判ですので誰しも傍聴する権利は保障されています。その人が、どんな意図で聞きにきたとしても。
これまでの裁判と違い、上手に配役され情感たっぷりに、しかも詳細に読み上げられる供述調書を彼らはどの様な思いで聞いていたのでしょうか。口頭主義による過剰演出と詳細な読み上げは、今まで以上に「観客」を引き寄せてしまうのではないかと非常に危惧しています。


■ 罪刑法定主義(それ自体が問題だというわけではないのだけれど)

検察官のさじ加減一つで罪名が決まるといっても過言ではありません。裁判員裁判で審理されるかどうかは検察官がどういった罪で起訴するかにより、強姦罪も強制わいせつ罪も「致死傷」がつけば裁判員裁判の対象になります。同じ性犯罪被害でも傷害を負った場合は衆目にさらされなければなりません。

これまでの裁判でも多くの被害者達が大きな犠牲を払い苦痛を被ってきました。制度が導入されたいま、裁判員のみならず傍聴人にまで被害の詳細を知られてしまうのは、今まで以上に被害者に苦痛をもたらすであろうことは明白です。こういったことが続けば告訴をあきらめる被害者はますます増えるでしょうし、心ならずも致傷の部分を主張しない(犯人の罪を軽くすることになる)被害者も多くなるのではないかと思います。


■ 裁判所は教育機関なのか

強制わいせつ 被告に懲役2年6月 福岡地裁判決 裁判員「精神的に負担」(西日本新聞 2009.10.24)【魚拓
 記者会見に応じた裁判員(男性5人、女性1人)と補充裁判員(女性2人)は20-60代の会社員や主婦、学生だった。

 裁判員の50代男性は「いい勉強になった。(裁判員裁判で)世の中がいい方向に向くようにしてもらいたい」と述べた。補充裁判員の40代女性は「この経験を生かし、少しでも犯罪を減らせるよう協力したい」と語った。

この裁判では被害者プライバシーに対する配慮以外にも、検察官が性犯罪被害者の立場や気持ちを、できる限り代弁しようとしたこと、言い換えると「相手が望まない性行為を強要することは暴力なのだ」という基本的な理解を求める努力をしたことは評価できると思います。

引用した記事にも「いい勉強になった」「この経験を生かし~」という感想がありました。裁判員になった方達が少しでも性犯罪被害者のおかれた苦境を理解してくださったことはありがたいと思います。その反面、検察官の努力に依らなければ被害者の心情も性犯罪の実態も伝わらないという現状を表しているとも言えますね。
性犯罪や性暴力に対する誤解(レイプ神話といわれるもの)を解くためにも正しい理解を促す啓蒙は行われるべきですが、それは法廷という場でやることではありません。



詳細に記述することを避けたため抽象的な表現にり、どの供述や文言に対して私がそう感じたかなど具体的には記述できませんでした。隔靴掻痒の感は否めません。
また、性犯罪事件の審理の問題点だけに絞り込むことができませんでした。当日、傍聴されていた他の支援グループの方達が、(たぶん)私と同じ感想を持っているわけではないということもお断りしておかなければなりません。

このエントリに書いた以外にも裁判員制度そのものについて考えさせられる点が多々ありました。それについては稿を改めて、また。



■ 関連エントリ

裁判員裁判 初の性犯罪事件(追記あり)
http://akiras-room.seesaa.net/article/391808430.html

誰のための裁判だったのだろう
http://akiras-room.seesaa.net/article/391808433.html

被害者のプライバシーは本当に守られるのか(1)
http://akiras-room.seesaa.net/article/391808389.html

被害者のプライバシーは本当に守られるのか(2)(追記あり)
http://akiras-room.seesaa.net/article/391808390.html

問題だらけの裁判員制度
http://akiras-room.seesaa.net/article/391808267.html

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