2009年12月31日

非力

次々と現れる自衛論者たちを目の前にして、為す術も無く立ち尽くしているといった感がありますが・・・。
非力であっても無力ではないと思いながら踏ん張っています。



posted by akira at 00:41| Comment(2) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

近況報告的な愚痴はき

最近ちょっと、心がささくれてますが・・。
一応近況報告などしてみます。

9日に放射線治療(30回)が無事終わり、照射部分の皮膚もだいぶ良くなってきました。(皮が3回ぐらい剥けました)
手術を受けた病院に、内分泌療法の予約を入れなきゃならんのですが、いったん始めてしまうと5年は休めないので、年明けから通おうと思ってます。何しろ怒涛の3ヶ月だったので、ちょっと息抜きというか息継ぎが必要ですね。

内分泌療法というのは、女性ホルモンを薬で止めてしまう治療なので、始めてしまえば、一気に更年期障害に突入してしまいます。徐々に減っていくようなもんではないので、それなりの覚悟が必要かも。

医者は、手術も治療も「すぐに」と簡単に言ってくれますが、いろいろ知るうちに、そこまで急がんでよかろうもん。(初期の乳がんで1〜2週間の差はないのも一緒です)と思いました。

こういうふうに患者の気持ちとか関係なく治療が進んで行くので、本人が一番置いてきぼりを喰った気になるというか、気持ちがついていかないというか、そんなのがあって医療不信まで行きついてしまうのではないかな、とも思いました。

私が通っている乳腺外科の病院には、乳腺心療内科(いみふめいですね)というもあるのですけど、カウンセリングはありません。
薬しか出さない心療内科は、わたし的には、薬と容量の指定をする薬局扱いで、他に使い道はないなと思います。(経済的には他の病院にかかるよりましな程度です)

こういう病院には心理的な専門家(精神科ではなくて)が必要ですね。来年度から、そういった仕事ができるよう準備しているところです。


毎年この時期は多かれ少なかれ、軽いフラッシュバックがあったり、眠りが浅かったりするのですが(記念日反応)、今回はいささか無茶をしすぎました。かなり反省中です。
年末行事はお休みして養生します。
posted by akira at 00:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

ぬちぬぐすーじさびら

「沖縄幻想」 奥野修司著 洋泉社 という本を読んだ。
と言っても感想を書こうとかいうわけではない。(というか、私は、いまだ沖縄を語る言葉をもたないので)
この本で出会った「ぬちぬぐすーじさびら」という言葉に、心が打ち震えてしまって、どうしても書かずにいられなくなってしまっただけ。

「ヌチヌグスージサビラ」沖縄タイムス<2000年10月3日>
(アップした直後に、リンク切れで記事が読めなくなってしまいました。まだキャッシュは残っているようです)

終戦直後の石川市。沖縄戦で米軍が造った避難民収容所とその周囲には、戦火に追われた三万の人々。人口二千人の農村は数カ月で“大都市”に変ぼうした。テント、かやぶきの掘っ立て小屋、仮設住宅がすき間なく立ち並ぶ。

 多くの人が知らない土地で、戦争で受けた傷を癒す間もなく、その日を生き延びることで精いっぱいだった。軍作業に駆り出され、食糧と物資の確保に追われる毎日。住民はそれぞれ親せきや出身地ごとに毎晩のように集まったが、明るい話題などない時代だった。

 そこに突然、現れた風変わりな男。それがブーテンだった。

 「ヌチヌグスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」。民家から、すっとんきょうな甲高い声が響く。「ジャカジャカジャン」。三線が鳴り、うたげが始まる。突然やって来た中年の男が、即興の歌を民謡の節に乗せ、琉舞を崩したヘンテコな踊りを舞う。珍客にあぜんとする住民たち。だがやがて、ユーモラスな姿に乗せられ、一緒に踊りだす。終戦の年、四十八歳のブーテンはそうやって地域を回った。

 当時、ブーテンに連れられ民家を訪ね歩き、後に弟子となった芸能家・照屋林助さん(71)の印象に残っているシーンがある。

 ともに訪問したある屋敷。家の中には位牌(いはい)があり、家主が涙を流していた。「何でこんな悲しいときに歌うの」。問われたブーテンは答えた。「亡くなった人たちのためにも生き残った者が元気を出して、沖縄をしっかりつくっていかないと。はい、スージ(祝い)しましょう」。彼の言葉に家主の表情が変わった。林助さんはそのとき、芸能の力と、その魅力を引き出すブーテンの天賦の才能を感じた。


児童虐待やDVあるいは性暴力被害などの被害体験を持つ人の事を、敬意を込めて「サバイバー」と呼ぶ。困難な状況を生き抜いた人という意味で使われる。そして自助グループではサバイバーどうしを「仲間」と呼び合う。

性暴力被害者は、事件のせいで(司法に訴えるかどうかは別として)、仕事や住居を変えざるを得なかったり、身体的精神的な後遺症によって、それまでの生活が一変してしまうことも多い。事件を知られてしまえば、周囲からの心ない言葉や中傷が待っている。そんな状況の中、声をあげることも語ることもできずに、自分を責め続けてきた多くのサバイバーを知っている。その中には、力尽きてしまった仲間が何人もいる。

今回巻き起こった「自衛(という名の被害者責任)論」にまつわる議論の中で、「犠牲者非難」という表現を目にした。被害者ですらなく「犠牲者」と呼ばれることは、この議論の性質を物語っているようにも思える。

「自衛論」は、何も目新しいことではなく、過去から散々言われてきた「強姦神話」の一つに過ぎないが、それを見聞きするサバイバーにとっては、命取りになりかねない重大な発言だといえる。
私のようなひねたサバイバーでさえ、事件直後の周囲からの罵声を思い出したり、覚醒度が上がってしまい眠れない夜を過ごすハメに陥るのだから、事件直後、あるいは、まだ何処にも繋がることの出来ていないサバイバーならなおのこと「お前にも責任があるんだ」という言葉は重い響きを持つだろう。

私が、こうして書き続けているのは、今もつづいている「自衛論」を対抗論で埋め尽くすため。「自衛論」より少しでも多く被害者の目にふれるように、今日も懲りずに書いている。


これを読んでくれている仲間たちへ

よく生き残ってくれましたね。
そして、これを読んでくれてありがとう。
私は、あなたが生きているために、どれほど苦しんだかを知っています。
あなたが生きていることは幸いです。

ぬちぬぐすーじさびら
命のお祝いをしましょう。



一緒に読んで欲しいエントリ

「自衛」を主張したって無意味です。
http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091223/1261573269

男性サバイバーからのメッセージ
http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091217/1260987389

男たちももっと楽になれるはず。
http://sivaprod.exblog.jp/12512343/

ことばに見放されるということ。
http://d.hatena.ne.jp/kananaka/20091218/1261157972

posted by akira at 01:49| Comment(4) | TrackBack(1) | 性暴力被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

「二次被害論者」って、私のこと?

■[戯言] 男性蔑視と差別の話

上記エントリ、コメ欄へのはてなブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/narusase/20091207/p1%23c1260865277

ここの議論を読んで、対抗論者の方たちの辛抱強さに心打たれたました。こうして、対抗論を積み上げてくださる方がいることに、光明を見る思いがします。「自衛論」という名の「被害者責任論」への反論は出尽くしたと思っていましたが・・・。

現時点での最新コメント(blog主であるnarusaseさんから、対抗論者のひとりであるfjskさんへの返信)を読み、急遽エントリを上げることにしました。(一気に書いたので推敲していません。読みにくいと思いますが、ご辛抱ください)

私は「自衛論」そのものを否定するものではありません。用法用量を守って書いてくださる分には、どうぞおやりくださいと思っています。
ただ、私が不思議でならないのは、なぜ今のこのタイミングで言い始めるのかということなのです。今回ばかりでなく、このような言説が吹き上がるのは、何かの事件があり被害者にも非があるという(有名人による)二次加害が行われた後です。

そして、「燃料投下」とか「「リスクを想定しないのは自己の責任」ということでFA」とか「自衛しないことのリスク、コストは自分で支払えよ」などの言葉で語りながら、「被害者責任論ではなく、あくまでも自衛の必要性を訴えているだけ」と言われても、どうしても、そう受け取れませんでした(受け手である私の感性の問題なのでしょうか?)。私は上記エントリの内容を「被害者責任論」だと考えています。
と、前提ををはっきりさせたところで本題にうつります。


私がこのエントリを書こうと思うきっかけになったコメントのやり取りを以下に引用します。

fjskさんのコメント
http://d.hatena.ne.jp/narusase/20091207/p1#c1260865277
>ねじ曲げず、まっすぐに「身を守れ「なかった」ことに責任はないんだ」と言い続けないのですか?言い続けてはいけないのですか?
まずここの文章の無邪気さには非常に、非常に怒りを感じた、と先に表明させていただきます。
正直に心の声を書かせていただくなら「お前、被害者のことなど何っにも考えてないだろ!!自分の言葉を引っ込められないってメンツだけじゃねぇか!!」という事です。
まず、「ねじ曲げる」のは私ではありません。事故責任論が闊歩する世間が、女性に「ねじ曲げさせる」のです。


narusaseさんのレス
http://d.hatena.ne.jp/narusase/20091207/p1#c1260983063
「「ねじ曲げる」のは私ではありません。事故責任論が闊歩する世間が、女性に「ねじ曲げさせる」のです。」と「世間」に責任を転嫁していますが・・・自分にはまったくなにも問題がないんですか?
「自衛の議論はセカンドレイプだ!」とそう言って自衛論者を叩き続けているあなた方が、二次被害の一番の発生源かもしれないと考えたことはきっと無いのでしょうね・・・

まず、危ないから自衛をしようよ、やってるなら続けていこうよ、という自衛論者たちに「自衛の議論はセカンドレイプだ!」と二次被害論者たち襲いかかり、マッチポンプで炎上が始まる。
その結果として、本当に二次被害を受けている人に炎上によって過激化したきつい意見の応酬が目に入ります。
で、二次被害論者たちが炎上させた議論を読んだ本当の「二次被害者」が苦しむ。
その苦しみを見て二次被害論者は「ほらやっぱり!」「自衛の議論はセカンドレイプだ!」とさらに叫びたてさらなる延焼を促すとともに、「二次被害者」をさらに追いつめていく。
・・・そう言う構造を考えたことはないのでしょうか?


この部分を読んで言葉を失いました。
まず、驚きを禁じ得ないのは、narusaseさんからfjskさんへ投げつけられたこのセリフ。

ねじ曲げず、まっすぐに「身を守れ「なかった」ことに責任はないんだ」と言い続けないのですか?言い続けてはいけないのですか?

あの・・・。
fjskさんはじめ対抗論者の方達は、被害者には「身を守れ「なかった」ことに責任はないんだ」という説明をし続けているのですよ。その文言そのものを書かないと読み取れないのでしょうか。

fjskさんは「自衛論は正しくない」とする自説をnarusaseさん完全に理解させるためだけにコメントを書いているのではありません。(narusaseさんは、そう考えているのですね)
fjskさんが書いた「私がしているのはもしここを見ている被害者女性がいたときに「こんな論外な意見を肯定するのは少数派で、気にする必要もない」と言うことを示す事です。」という言葉は、伝わっていなかったようです。被害者に「あなたは悪くない」と伝えるために書き続けていらっしゃるのです。


まず、危ないから自衛をしようよ、やってるなら続けていこうよ、という自衛論者たちに「自衛の議論はセカンドレイプだ!」と二次被害論者たち襲いかかり、マッチポンプで炎上が始まる。
その結果として、本当に二次被害を受けている人に炎上によって過激化したきつい意見の応酬が目に入ります。
で、二次被害論者たちが炎上させた議論を読んだ本当の「二次被害者」が苦しむ。

どこまで卑劣な人なのでしょう。これほどの詭弁は見たことがありません。「児童ポルノがなくなれば、犯罪が増える」と同じ類の、しかも、もっと悪質な「脅迫」です。
自分が暴れるのは、それを止めようとする人のせいですか。
責任転嫁は大概にしなさい。

narusaseさん命名の「二次被害論者」に、私も入ってしまうのでしょう。前のエントリでは、コメ欄に「自己責任論者」が登場しましたし、二次加害をやめてくださいと声をあげる度に、そういう人が登場するのは定番ですから、エントリを上げた自分を責めることもあります。

しかし、やめるわけには行かないのです。
言わない気持ちはなかったことにされてしまうから。

被害当事者だと表明したうえで「被害者責任論」などの二次加害行為を批判している方もいらっしゃいますが、それは非常にまれなことです。まず自分の恐怖心と闘わなければ声をあげることはできませんし、だいいち、声をあげるためとはいえ、二次加害となっている言説を読み続けるには途方もないエネルギーが必要です。

声を上げられない被害者がほとんどでしょう。

一昔前には考えられないほど被害当事者でない沢山の方が声を上げてくださるようになりました。「あなたは悪くない」というメッセージが、そこかしこで見られるようになり、なんとか声を上げようとしている人にとって、大きなエールになっています。


一連のエントリの議論では、〇〇さんだけでなく、中立の立場から多くの方が発言されました。そして、多くの二次加害も発生してしまいました。

続ければ続けるほど、そういった発言を引き出してしまう議論に何の意味があるのだろうかと思い悩みもしました。しかし、反面、中立という立場でセクハラ被害を語ることの危険性が先鋭化し、大きな問題点として浮かび上がってきたことも事実です。
(中略)
また、被害者ではなくても、想像力によって被害当事者の側に立ち、そこから語ることも可能であるという多くの実例を見せて頂いたことは、一連の議論から得られた大きな希望となりました。

Posted by akira at 2008年10月29日 12:42
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/7685149.html#comments
これは去年、このblogで二次被害が起き、終息したときに書いたコメントです。(一部伏字にしています)
今も全く同じ気持です。

また「被害者にも非がある」という言説がふき上がれば、私は、その度に同じ事を言い続けるでしょう。「二次加害はやめろ」と。

そして「被害を受けたのは、あなたのせいではない」と、なんどでも。




※ここは、多くの被害当事者が読んでいるblogです。
それを、前提として配慮あるコメントをお願いします。
コメント削除はなるべくしないつもりですが、どうしようも無いと判断したときは早めに対処します。
posted by akira at 02:14| Comment(16) | TrackBack(2) | 性暴力被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月11日

いつからそう思い込むようになったのだろう

前回のエントリで触れた、「被害者責任論」(私は自衛論だとは思っていません)への反論は、昨年の「花岡騒動」でさんざん書いているので、そちらをご参照いただければと思います。

2年近くたって、またぞろ同じような言説が飛び交っていることに眩暈を覚えながら方々のエントリを見て回りました。
直近の議論で、ほぼ決着はついていると思います。

★ 電脳ポトラッチ: それはあなたの「当然の権利」じゃない。〜曽野綾子ミニスカ論争関連

チマチョゴリを着て歩いてちゃ仕方ない、なのか?

性暴力は自衛可能か? - キリンが逆立ちしたピアス

「クズどもを追い払ってください」 - kananaka日和


しかし、いまだに「自衛策をとらずに被害に遭う人にも非がある」と言い続けている人がいるのですね。もともとの曾野氏(や、渡辺氏)の雑文は、自衛を説くものでもありませんのに。どう説明したらいいのやらと途方にくれてしまいます。

で、曾野氏やそれに賛同する方たちが思い描く「性犯罪の被害者像」と、実際の事件のギャップを説明してみますね。(idコールもらったしね)

この件で、いろいろ調べていくうちに、こういう資料を見つけました。
昭和61年版 犯罪白書  7 性犯罪

強姦と強制猥褻のそれぞれについて,犯罪者の意識を通じて被害要因等の分析をしたものです。20年以上前のものなので、ちょっと古いんですがね。
上記資料から引用します。

加害者が、どういう理由で被害者を選定したのかは以下の通り。
最も肯定の回答の多かったのは,強姦,強制猥褻のいずれについても,第6群中の「相手はたまたまそこにいた」となっている。この点は,別に族害者に犯行の計画性の有無を質問した結果,計画的に行ったとする者は極めて少なく,偶然の要因から行ったとする者が,性犯罪 体で,成人の84.1%,少年の76.5%を占めていることとも符合しており,性犯罪の被害者にとっては,「運の悪さ」とでもいうべき機会にたまたま遭遇したことが,大きな被害要因として挙げられる。また,強姦で2番目に多い肯定回答は,第5群中の「相手は被害を警察や他人にいわないと思った」であり,強制猥褻でもこの回答は,かなり高い肯定率を示している。このことからすれば,被害者から訴えられることはあるまいといった族害者側の安易な推測なども,性犯罪を誘発させやすい主要な一因といえよう。一方,被害者測の魅力が犯罪を引き起こすことは意外に少なく,強姦,強制猥褻のいずれの場合においても,被害者の魅力という概念から作られた第1群の質問に対する肯定回答は,それほど高率なものではない。

 さらに,強制猥褻には,成人の族害者が被害者を選定した理由の一つとして挙げている,第6群中の「相手はたまたまそこにいた」という回答と並んで,最も高率を示しているのが,第4群中の被害者は「相手にしやすい人だった」という回答である。このことは,加害者が被害者を選定するに当たって,被害者にたまたま遭遇したという「偶然性」とともに,族害者の「弱さ,もろさ」といった要因が,極めて重視されていることを意味しており,強制猥褻の被害者が,非力で無抵抗な少女や幼児に集中していることとも密接な関連があるといえよう。

この資料からわかることは
性犯罪者は、たまたまそこにいた警察に届けなさそうな、弱さ脆さを持った人を狙ったのだと言えそうです。(といっても、これは犯人の主観であり、実際の被害者がそうではなかったから、逮捕されているのですけどね)「たまたまそこにいた」を防ぐ手立てがあれば教えて欲しいです。


そして、加害者は被害の責任の所在をどう考えているかというと
「届けないと思った」及び「半々と思った」と予測した者に対し,その理由を質問した結果を見ると,強姦については,成人では「被害はあまりなかったから」と「被害者にも落ち度や責任があるから」が多く,少年では「被害者にも落ち度や責任があるから」と「犯人と被害者が知り合いだから」が,上位を占める理由となっている。

※いずれも強調は引用者による。

ここを読んで既視感に襲われました。
この犯人たちは、どうしてこのように考えるようになったのでしょうか。
ある日突然、こんな考えが湧いてきたわけではないでしょう。
彼らが育っていくうちに、「社会の常識」と思われていることが刷り込まれた結果に過ぎません。
被害者責任論を唱える人たち自身は加害者予備軍ではないにしろ、その言説は「加害者予備軍」の思い込みを強化する手助けをしている事に気づいて欲しいのです。
そして、一般に向けて「自衛論」を説いているつもりでも、それを目にする多くの被害者にとっては「自衛」できなかった自分を責める材料にしかならないのだということも。

私たちができることは
もし誰かが被害にあったとき「あなたは悪くない」と言い続けることで、少しでも被害を訴えやすい土壌を作ること、そして自分の子どもや周囲の子ども達に「社会の常識(害になる思い込み)」を摺りこまないこと。
「痴漢に注意」ではなく「痴漢するな」と教えることです。
posted by akira at 01:22| Comment(32) | TrackBack(1) | 性暴力被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする